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大阪地方裁判所 昭和30年(ワ)1499号 判決 1960年5月17日

原告 貴島幸彦

被告 吹田市

主文

被告は原告に対し金一一〇、六一〇円及びこれに対する昭和三〇年六月三日から右支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告代理人は、「被告は原告に対し金一一一、一一〇円及びこれに対する昭和三〇年六月三日から右支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」旨の判決を求め、その請求の原因として、

原告は、昭和二七年六月二四日、同月二五日の両日にわたつて行われたいわゆる吹田事件のデモ行進に参加した者であるが、当時大阪大学医学部学生であつた原告はただ右行進に随行したに過ぎず、暴行その他いかなる種類の犯罪的所為もしていないのである。そして、同月二五日午前八時頃隊伍をとゝのえて国鉄吹田駅に到着し、右デモ行進が終つたので帰るべく、そのまゝ静かに改札口を通過して下りプラツトホームに出、列車の到着を待つて、同日午前八時六分頃大阪行第九一一列車に乗車した。列車は間もなく発車しかけたが、すぐに停つた。その直後、それまで国鉄吹田駅東南表道路に待機していた吹田市警察署警察職員などからなる武装部隊が突然喊声をあげて同駅構内に浸入し、十数名の一団が原告の乗車していた客車に殺到し、吹田市警察署長日野章一の指揮下にあつた同市所属警察職員森川一雄巡査は、原告が乗車していた客車の窓から拳銃を車内に向け、何ら抵抗していない原告に向つて至近距離において拳銃を発射し、右拳銃弾は原告の左大腿下部に命中した。そのため、原告は左大腿骨折を伴う左大腿部盲貫銃創を受け、更に同車内に乗りこんでいた他の警察官から警棒で後頭部を強打されて昏倒したものである。

仮に、右原告の受けた傷害が前記森川巡査の行為によるものではないとしても、同所に居合わせた他の吹田市警察職員の行為によるものである。

仮に、原告の受けた傷害が右記載以外の者の行為によつてなされたものとしても、それは当時同所附近に居た吹田市公安委員会の要請によつて出動し、吹田市警察署長日野章一の指揮下に行動した他の警察官の行為によつてなされたものである。

ところで、原告が右負傷当時には、現場では警察官とデモ隊に参加していた者(以下単にデモ隊員と称する)との間に押問答が行われていた程度であつて、乱闘・格闘の如きことは全くなかつたし、原告は静に客車内に立つていたのみで、警察官に対し何ら抵抗もしていないのに、公共団体たる吹田市の公権力の行使に当る公務員たる前記森川巡査若しくは他の前記警察官が、その職務を行うについて、故意または過失によつて違法に拳銃を発射し、もつて原告を負傷させたものであるから、右吹田市は原告に対し、右負傷によつて生じた原告の損害を賠償すべき義務がある。

よつて、原告は国家賠償法第一条に基ずき、右拳銃によつて受けた右負傷による損害賠償のみを本訴によつて訴求する次第であるが、原告が請求する右損害額は次のとおりである。

(1)  医療費、計金七二、六一〇円

(イ)  昭和二七年六月二五日から同年一〇月二一日まで一一九日間、大阪府済生会吹田病院に入院して治療を受け、その間の治療費として右病院に支払つたもの金五六、八三〇円、

(ロ)  右病院に入院中輸血料として支払つたもの金七八〇円、

(ハ)  大阪大学医学部整形外科清水教授の往診を三回受け、その謝礼として同教授に支払つたもの金一五、〇〇〇円、

(2)  治療費に要したその他の費用、計金四七、五〇〇円、

(イ)  原告が入院中附添婦に支払つた給料(一人一一五日間、一日当り金三〇〇円)金三四、五〇〇円、

(ロ)  入院中の諸雑費(食費など)として附添婦を通じて支出した費用金一三、〇〇〇円、

(3)  その他、

学業の一時中止、負傷による肉体上の苦病、将来相当期間中の運動機能障害による苦痛など。

原告の受けた損害は以上のとおりであるが、右のうち(3) の点は金銭に換算することが困難であるからこれを請求しないこととし、また前記清水教授に対する謝礼金一五、〇〇〇円のうち金五、〇〇〇円及び前記(2) の(ロ)雑費のうち金四、〇〇〇円の合計金九、〇〇〇円はその必要性が必ずしも確実ではないから、これを除外し、最も、確実な前記その余の損害金一一一、一一〇円及びこれに対する訴状送達の翌日たる昭和三〇年六月三日から右支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払のみの賠償を求めるため本訴に及んだ。

と述べ、

被告の抗弁に対し、

被告主張の警察官職務執行法七条を本件に適用する余地はない、即ち、(1) 原告が狙撃された時及び場所において、他人に対する防護の必要は全く無く、(2) 原告は抵抗していないのであるから、抵抗抑止の必要はありえなかつたし、(3) 当時原告の乗つた客車は警察官によつて包囲されており、原告が逃走することは極めて困難な状況におかれており、これを逮捕すことは極めて容易であり、そのために武器を使用する必要は全然なかつたし、(4) 警察官の側に正当防衛または緊急避難の要件が備つていなかつたことは多言を要しない。(5) また、原告が長期三年以上の自由刑にあたる兇悪犯人であつたことを疑うに足りる何等の理由もなかつたし、その他同条但書各号にあたる事由は何一つなかつたのである。

また、被告主張の過失相殺の抗弁事実はこれを争う。

(1)  国家賠償法一条は民法七一五条と異り、被用者の責任とは別に国または公共団体が直接に負担すべき自己責任を定めたものであつて、民法上の過失相殺は適用されないし、(2) 仮に、過失相殺の適用を認めうるとしても、本件においては原告の責に帰すべき何らの過失はない。

よつて、被告の抗弁はいずれも失当である。

と述べた。

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁並びに抗弁として、

原告主張の請求原因事実中、原告は昭和二七年六月二四日、同月二五日の両日にわたつて行われたいわゆる吹田事件のデモ行進に参加した者であり、当時原告は大阪大学医学部学生であつたこと、原告が同月二五日午前八時過頃国鉄吹田駅下りプラツトホームに停車中の大阪行第九一一列車客車内において拳銃による左大腿骨折を伴う左大腿部貫通銃創を負うたこと、並びに当時右吹田駅構内では吹田市警察職員以外の者も行動していたが、これらの警察官はすべて吹田市公安委員会の要請に応じて出動し、吹田市警察署長日野章一の指揮下に行動していたものであることはいずれもこれを認めるが、その余の事実はこれを争う。

本件事故は、原告を含む一団の集団(以下集団と略称する)が後記の如き騒擾行為をなし、そのうち百数十名が騒擾罪として大阪地方裁判所に起訴されたいわゆる吹田事件の鎮圧ないし犯行容疑者の検挙に際し偶発した事故であり、原告を傷つけた拳銃を誰が発射したかは不明であるが、警察官側が発射したのは後記の警察官二名による三発のみで、しかもこれらはその状況からして原告に命中したとは考えられないので、吹田市所属の公務員でない者のなした行為による原告の負傷につき、被告には責任はない。

即ち、(一)昭和二七年六月二四日午後六時頃から、豊中市待兼山の大阪大学北校々庭及び隣接丘陵で開催された軍事基地・軍需輸送粉砕等のスローガンを掲げる朝鮮動乱六、二五記念日前夜祭の集会参集者の集団は、一部の扇動によつて吹田操車場襲撃を企図するに至り、竹槍等を所持する者のうち約三〇〇名の一隊は同日午後一一時五〇分頃、同所を出発して西国街道の旧道を進み、途中二戸の民家に対し石又はラムネ弾・棍棒等によりガラス戸を破壊するなどの暴行を行つて大阪府三島郡豊川村を経て、同郡山田村味舌に赴き、他の約五〇〇名の一隊は翌二五日午前零時三〇分頃前記校庭を出発して、京阪神急行電鉄石橋駅に赴き、臨時電車を発車させて服部駅に至り、同駅で全員下車し、旧伊丹街道を経て吹田市豊津に至り、吹田市警豊津派出所に火焔瓶・石等を投げ、窓ガラス等を破壊する等の暴行を行い、同市山の谷小路等の部落を通り、前記山田村味舌において前記三百名位の一隊と合流した。以上の二隊は右合流地点において隊列を組み直し、北鮮旗・赤旗を押し立て、大多数の者は竹槍・棍棒・火焔瓶等を携えて武装した上、太鼓を叩き高唱しながら一隊となつて、同日午前五時四〇分頃三島郡味舌町須佐之男命神社前に至つた。その際、同所において警備中の警察職員約一三〇名によつてその行動を阻止されるや、直ちに、竹槍を構え、石又は火焔瓶等を投げつけるなどの暴行にでて、一挙に警察官の警備線を突破して暴徒化し、吹田操車場に向つて進み、通称竹の鼻ガード又は国鉄岸部駅前道路上において警備中の警察職員、鉄道公安官等に火焔瓶・石等を投げつける等の暴行をなした上、同駅西方約一八〇米附近から同駅構内上下旅客線を越え、喊声をあげて吹田操車場構内に入り、三十数分間に亘り、同操車場構内において行動し、軍用品積載貨車を探索し、或は信号所に投石するなど操車作業を妨害した後、産業道路に出て西進し、国鉄吹田駅に向う途中、駐留軍々人の乗車せる自動車二台に硫酸瓶又は石を投げつける等の暴行をなし、よつて、同自動車を損壊し、搭乗者に傷害を与え、ついで、吹田市の市街地において吹田市警の岸部・片山東・片山西の各派出所を順次襲撃し、ラムネ弾・石又は棍棒等によつてガラス窓を破壊し、電話器を引きちぎる等の暴行をなした他、警備のため暴徒に先行しようとして警察職員二十数名の乗車したウイボン車に数本の火焔瓶を投げつけ、多数警察職員に火傷を蒙らしめ、車から顛落した警察職員を殴打し、拳銃二丁及び実包を強取し、附近民家の庭に難を避けた警察職員を追つて火焔瓶を投入する等の暴行の限りを尽した後、更に午前八時頃国鉄吹田駅に至り、折から停車中の午前八時六分吹田駅着、米原発大阪行第九一一列車に乗り込み、多数乗客の逃げ惑い混乱するうち、逮捕に向つた警察職員に対し抵抗して、竹槍・棍棒を振い、若しくは国鉄プラツトホーム等に火焔瓶を投げつける等の暴行を行つて列車の運行を阻害した。以上のとおり、原告を含む集団は約二時間半に亘り多数集合して暴行脅迫を行い、附近一帯の静謐を害し、騒擾行為をなしたものである。

よつて、被告の警察職員や国警、警察学校、茨木市警、三島地区警の警察官の一隊は、右列車に乗り込み、右集団の騒擾鎮圧並びに暴徒の検挙にあたつた次第である。

ところが、暴徒側は火焔瓶・棍棒・竹槍をもつて、抵抗し、警察官との間に乱闘が数分間続けられ、彼我の間に拳銃の発射応酬が交されているのであつて、原告の銃創がこの闘争の際に蒙つたものとしても、果して警官の発射弾によるものかどうか断定できない。

(二)仮に、原告の銃創が警察官側の発射した拳銃によるものとしても、吹田事件の鎮圧、暴徒検挙に向つた吹田市警察官中、当時拳銃を発射したものは森川一男巡査が一発と、石畝平蔵巡査が二発のみであり、その中(1) 石畝巡査が二発発射したのは前記列車七輛目辺であつて、位置的に考えて、原告の傷害とは無関係であり、(2) 森川巡査が発射したのは右列車二輛目ではあるが、これとて原告に命中したことを確報することができない。仮に、同巡査が発射した弾丸が原告に命中したとしても、同巡査は前記の如く暴徒の抵抗を冒し、列車に浸入せんとしたとたんに暴徒の棍棒で頭部を強打され、これが連続繰返される状況の下に置かれ、暴徒によつて竹槍で抵抗され、火焔瓶を投げつけられたので、自衛のために発射したものであり、結局、森川巡査の拳銃の使用は警察官職務執行法七条本文所定の事由に基ずき正当防衛の必要上なされたものであるのみならず、原告の行為は騒擾罪に該当し、同条一号の適用を受けるから、仮に、原告の負傷がその銃弾によるものとしても、その違法は阻却されており、従つて、被告において不法行為の責任を負担する筋合のものではない。又、森川巡査以外の警察官等が発射した弾丸が原告に命中したとしても、同警察官等は前記同様の事情の下に拳銃を発射したものであつて、右と同じ理由により被告において不法行為の責任を負担すべきものではない。

仮に、警察官側に拳銃の使用につき濫用にわたる点があつたとしても、当時の前記状況下においてこれを問責することは苛酷であり、寧ろ、デモ隊に参加し、もつて、原告が集団犯罪に参加したこと自体、原告の過失であるから、過失相殺の法理により被告の責任は減免さるべきである。

と述べた。

立証として、

原告訴訟代理人は、甲第一号証、第二号証の一ないし九、第三号証、第四号証の一、二及び第五号証を提出し、証人田川邦夫並びに原告本人の各尋問を求め、乙号各証の成立はいずれもこれを認め、

被告代理人は、乙第一ないし第三号証を提出し、証人日野章一、同森川一男、同石畝平蔵、同本田弘之並びに同岩崎正顕の各尋問を求め、甲号各証の成立はいずれもこれを認めた。

理由

原告は、昭和二七年六月二四日、同月二五日の両日にわたつて行われたいわゆる吹田事件のデモ行進に参加したものであり、当時、原告は大阪大学医学部学生であつたこと、並びに原告が同月二五日午前八時過頃国鉄吹田駅下りプラツトホームに停車中の大阪行第九一一列車客車内において、拳銃による左大腿骨折を伴う左大腿部貫通銃創を負うたことについては当事者間に争がない。

ところで、原告は、先ず、左大腿部に受けた原告の銃創は、被告の職員である吹田市警察署長日野章一の指揮下にあつてデモ隊員を逮捕する為行動中の同市職員森川一雄巡査が故意又は過失によつて拳銃を発射し、該拳銃弾が命中して与えられたものである旨主張し、被告はこれを否認するので、この点を判断するに、成立に争ない乙第三号証に、証人岩村正顕、同本田弘之の各証言、証人田川邦夫、同森川一雄、同日野章一の各証言の各一部並びに原告本人尋問の結果の一部を綜合すると、昭和二七年六月二五日午前八時過頃、吹田市警察署長日野章一の指揮する警察官の部隊は、いわゆる吹田事件のデモ隊を逮捕する目的で国鉄吹田駅の構内に進入し、一番先に同所に到着した一隊に属していた同署警羅係長の本田弘之警察官は、下りプラツトホームから発車しかけた前記大阪行第九一一列車を停車させたこと、右警官隊の中で、岩村正顕巡査は他の二、三名の警察官とともに一番早く右下りプラツトホームに上り、右列車の前から三輛目の客車後部乗車口からデツキの扉を開けてはいろうとし、前記同僚とともに同扉を押し開け、右岩村巡査が先頭に立つて二、三歩客車内に踏みこんだところ、客車内から電球で作つたいわゆる火焔瓶を投げられ、同巡査の右前方で火が燃え出し、その為、同巡査の衣服にも火がついたので、同巡査はプラツトホームに降り、火を消すため二、三回転げ廻つたこと、折柄、同所に居合わせた吹田市警察署第一小隊員であつた森川一雄巡査は右岩村巡査の消火を手伝つたこと、その後、同僚の負傷に興奮した森川巡査は拳銃を構えて、前記三輛目の客車に後部乗車口から飛び乗つたこと、同客車内には一般乗客とデモ隊の人が入りまじつて乗りこんでいたこと、前記森川巡査は同客車内に入りこむや、後部入口附近において一間余り離れて立つていたデモ隊の一人の男の足下をねらつて拳銃を発射したこと、当時原告は右三輛目の客車内の通路に立つていたところ、拳銃弾が左大腿部に命中したこと、当時、同客車は吹田市警察署所属の多数の警察官によつて取り巻かれ、右警察官中のある者は車内に銃口を向けて構えていたこと、前記列車の後部七、八輛目辺では、デモ隊員で車内から拳銃を発射した者もいたが、三輛目辺りの前部では車内から拳銃を発射した者はないこと、従つて、当時までに警察官側の拳銃が二丁デモ隊員によつて奪われていたが、これらを奪つたデモ隊員はいずれも同列車の後部客車に乗車していたことがいずれも認められ、右認定に反する証人田川邦夫、同森川一雄、同日野章一の各証言の各一部並びに原告本人尋問の結果の一部はにわかに信用できないし、その他右認定を覆すに足る証拠はない。そして、以上認定の各事実に右各事実認定の資料となつた前記各証拠を綜合すると、前記森川巡査が原告の足下をねらつて拳銃を発射し、その拳銃弾が原告の左大腿部に命中したことを認めることができ、右認定を左右するに足る資料はない。

そうすると、吹田市の職員である吹田市警察署長日野章一の指揮下にあつて、デモ隊員を逮捕する為行動していた被告の職員である森川巡査は、同人の拳銃を発射し、同人の故意、少くとも過失によつて原告の左大腿部に前記認定のような銃創を与えたものといわねばならない。

ところで、被告は、森川巡査の発射した拳銃弾が原告に命中したものであるとしても、同巡査は暴徒の抵抗を冒し、列車に侵入せんとしたとたんに暴徒により棍棒で頭部を強打され、これが連続繰返される状況の下に置かれ、暴徒によつて竹槍で抵抗され、火焔瓶を投げつけられたので、自衛のために発射したもので、結局、森川巡査の拳銃の使用は警察官職務執行法七条本文所定の事由に基き、正当防衛の必要上なされたものであるのみならず、原告の行為は騒擾罪に該当し、同条一号の適用を受けるから、仮に、原告の負傷がその銃弾によるものとしても、その違法は阻却され、従つて、被告において不法行為の責任を負担する筋合のものではない旨抗弁し、原告は、何ら抵抗もしていなかつたにもかかわらず拳銃を発射したものであるから、森川巡査のなした右拳銃使用は同条の要件を充さず、違法なもので、被告の抗弁は失当である旨抗争するので、次に、この点を判断する。

証人森川一雄、同日野章一の各証言中には、森川巡査は正当防衛のため拳銃を発射したとの被告の抗弁事実に沿う供述もあるが、成立に争ない乙第一号証により認められる森川巡査が火傷していない事実、及び証人森川一雄、同日野章一の各証言の他の部分、証人田川邦夫の証言の一部並びに原告本人尋問の結果の一部と比照してにわかに信用できない。又、成立に争ない乙第一ないし第三号証並びに証人日野章一、同本田弘之の各証言によれば、いわゆる吹田事件のデモ隊員約一、〇〇〇名が被告主張のように主張の経路を行進し、デモ隊員の中の一部の者は竹槍、棍棒、火焔瓶等を所持しており、これらを利用して、右行進途中に右デモ隊員の一部の者は、巡査派出所四ケ所において、派出所の窓ガラスを破損し、電話線を切断し、自転車・門燈・書類棚の戸・柱時計・電話機等を破損しており、吹田操車場に不法に侵入したり、また、デモ隊の進行途上に停車していた駐留軍の自動車のウインド硝子を破損し、乗客を負傷させたり、警察官多数に火傷を負わせる等の暴行を行つたことを認められないわけではないが、右証拠だけを以て直ちに前記デモ隊の行為が刑法一〇六条に定める騒擾罪にあたる騒擾行為とは速断し難いところであり、仮に、これが認められるとしても、騒擾行為を行つた者のうちでも同条一号ないし三号のいずれに該当するかにより法定刑を異にするものであつて、右デモ隊に参加した原告の行為が右のうち何号に該当するかについてはこれを断定するに足る証拠がなく、従つて原告の右行為を以て警察官職務執行法七条但書一号に定める死刑又は無期若しくは長期三年以上の自由刑にあたる兇悪な犯罪と断定することができない。その他全証拠によるも被告の抗弁事実を認めるに足る証拠はない。

かへつて、成立に争ない乙第一、第三号証に証人本田正之、同岩村正顕の各証言、証人田川邦夫、同日野章一、同森川一雄、同石畝平蔵の各証言の各一部並びに原告本人尋問の結果の一部に前段認定事実をも併せ考えると、警察官の部隊が第九一一列車の停車していた下りホームに到着した時にはデモ隊員は全員同列車に乗車していたこと、警察官側で火傷した者は、吹田市警察署所属の警察官にはごく少く、茨木市警察署所属の警察官が多数を占めていたこと、そして大体右列車の前から四輛までは吹田市警察署の警察官が居り、五輛目以後に茨木警察署等の警察官が居つたこと、前認定のとおり、車内から拳銃を発射したのも列車の後部においてであり、前部よりもむしろ列車の後部において或程度の争があり、列車に乗つたデモ隊員と警察官との間に火焔瓶を投げるなどがなされたこと、しかし、デモ隊員と警察官との抗争は短かい時間であつたこと、そして、前部三輛目の客車内では、前段並びに前記認定のとおり、岩村巡査が火焔瓶を投げられたのが始めてであり、その他はさして混乱はなかつたこと、前記三輛目の客車内は相当乗客が混んでおり、一般乗客とデモ隊員が混り合つて乗車していたが、デモ隊の服装は一般乗客と区別できる程度のもので、同車内ではデモ隊員は竹槍や棍棒を持つておらず、火焔瓶の発火も一回のみであつたこと、右客車の外側からは警察官が拳銃を構えて各窓からのぞいて包囲していたので、デモ隊員が逃亡できるような状態にはなかつたこと、原告は何等武器を持たず、抵抗する気配も示さなかつたこと、前記森川巡査が同客車に乗り込んだ時には、既に、二、三人の警察官が中にはいつており、デモ隊員との間では押し合い程度の争以外さしたる争はなかつたこと、しかし、前認定のとおり、森川巡査は同僚の仇討とばかり相当興奮して同客車内にはいつて行つて、デモ隊員をみつけたので、その足下をねらつて拳銃を発射し、右弾丸により原告が負傷したことが認められ、右認定の事実によると、森川巡査の拳銃の使用は警察官職務執行法七条の規定に当らないものといわねばならない。従つて、被告の右抗弁は採用するに由ない。

次に、被告は、警察官側に拳銃の使用につき濫用にわたる点があつたとしても、当時の前記状況下においては、これを問責することは苛酷であり、原告が集団犯罪に参加したこと自体、原告の過失であるから、過失相殺により被告の責任は減免さるべきである旨抗弁するのであるが、国家賠償法一条に基ずく国又は公共団体の損害賠償責任がいわゆる自己責任であるか代位責任であるかについては見解の分かれているところであるが、たとえ、自己責任と解しても、かかる場合民法七二二条二項の過失相殺の規定の適用がないものかどうか疑義の存するところである。仮に、前記国又は公共団体の損害賠償責任においても前記民法の条項の適用があるものと解しても、今、本件の場合について考えてみるに、森川巡査が原告の足下をねらつて拳銃を発射し原告に傷害を蒙らせた直接の原因が原告の行為に基ずくものと認めることができないことは前記認定事実に徴しても明らかであるから、たとえ原告が前記デモ隊に参加したこと自体を以て原告の過失といいうるとしても、当裁判所はかかる過失を以て本件損害賠償の額を定めるにつき斟酌しないのが相当であると考える。

以上のとおりであるから、公共団体たる被告の公権力の行使にあたる被告の職員である森川巡査が、デモ隊員の逮捕というその職務を行うについて、拳銃を発射し、同人の故意少くとも過失によつて原告に対し右拳銃弾を命中させ、よつて、原告に損害を加えたものであるから、被告は原告に対し右損害額を賠償する義務あるものといわねばならない。

そこで、進んで損害額について審究することとする。

成立に争ない甲第一号証、第二号証の一ないし九、第三号証、第四号証の一、二、第五号証及び原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を併せ考えると、原告の支出した金額は、(1) 医療費として合計金七二、六六〇円で、その内分は(イ)、昭和二七年六月二五日から同年一〇月二一日まで一一九日間、大阪府済生会吹田病院に入院して治療を受け、その間の治療費として右病院に支払つたもの金五六、八八〇円、(ロ)右病院に入院中輸血料として支払つたもの金七八〇円、(ハ)大阪大学医学部整形外科清水教授の往診を三回受け、その謝礼として同教授に支払つたもの金一五、〇〇〇円、(2) 治療費に要したその他の費用合計金四七、〇〇〇円で、その内分は(イ)原告が入院中附添婦に支払つた給料金三四、〇〇〇円、(ロ)入院中の諸雑費(食費など)として附添婦を通じて支出した費用金一三、〇〇〇円であることが認められ、右認定に反する証拠はない。

そこで、右(1) (イ)の金五六、八八〇円中原告の請求にかかる金五六、八三〇円、同(ロ)の金七八〇円、同(ハ)の金一五、〇〇〇円中原告の請求にかかる金一〇、〇〇〇円、右(2) (イ)の金三四、〇〇〇円及び同(ロ)の金一三、〇〇〇円中原告の請求にかかる金九、〇〇〇円を加えると金一一〇、六一〇円となり、原告は被告に対し本件損害賠償として右金員の支払をなすべき義務あるものといわねばならない。

そうすると、本訴請求は、原告において金一一〇、六一〇円及びこれに対する訴状送達の翌日であること記録に徴し明らかな昭和三〇年六月三日から右支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当であるからこれを認容することとし、原告のその余の請求は失当であるから、これを棄却することとする。

よつて、訴訟費用の負担につき民訴九二条八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 入江菊之助 白井美則 弓削孟)

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